「あの人が・・・好きだった花だ」 悟浄の言葉に驚いたように、夕食の仕度に取りかかっていた八戒が振りかえる。 ダイニングテーブルの上には、先ほど八戒が買い物に行って購入してきた食材の詰まった紙袋と・・・小さな野花。 帰り道の途中で見つけ、八戒が摘んできたものだ。 「・・・・・・」 『あの人』が『誰』なのか・・・。 聞いてみたかったけれど、その可憐な花を見つめる悟浄の寂しげな瞳に、言葉を仕舞い込む。 「・・・おかえりなさい」 変わりに与える、出迎えの挨拶と笑顔。 戸口に立って居た悟浄はそれに片手を挙げることで答えつつ、テーブルについた。 「母さんなんだ・・・」 「・・・え?」 「この花好きだった人」 何処か嬉しそうに笑う。 ほんのりとアルコールの香りが鼻腔をくすぐった。 どうやら悟浄は少し飲んでいるようだ。 昼間から仕方が無いな・・・と八戒は苦笑して、悟浄の向かい側の席に腰を下ろす。 ほろ酔い加減が、悟浄を更に饒舌にしている様で、機嫌良さそうに目の前にある野花を指で弄んでいたが、やがてまた御伽噺でもしているかの如く語りだした。 「話した事あったっけ?オレのこの傷の事」 髪を短く切ってしまった事で、露になった左頬の二本の細い傷跡を指す。 「・・・いえ」 二人が同居を始めて、もう2ヶ月になるだろうか・・・。しかし、各々これ以上は踏みこまない・・・という領域を暗黙に引いていたため、八戒はその傷の経緯を尋ねるような事はしなかった。 それは、彼の過去に深く関わってしまうものだと何処かで気付いていたから・・・。 「この傷さぁ・・・その母さんに付けられたんだよね」 「・・・え?」 「殺されかけたのよ、オレ」 白い歯を見せて、悪びれもせず笑う悟浄。 八戒はといえば、予想外の答えに戸惑っていた。 「ま・・・もっとも、本当の母親じゃなかったけどな」 それでも・・・後にも先にも、『母』と呼んだ覚えのある女は・・・彼女だけだった・・・。 「キレイね・・・」 それが、悟浄にある彼女の最初の記憶。 兄に手を引かれ歩いた道。 少し先を行く、母の華奢な背中を見つめていた自分。 不意に、歩みを止めて道端に咲いた花に目をやり、小さく微笑んだ彼女。 決して、自分には向けられる事の無い・・・笑顔。 悟浄の記憶の中にある、数少ない笑顔。 可憐な人だった・・・・・・。 どこか、少女のようなあどけなさを彼女は持っていた。 同時に、彼女は確かに女であった。 彼女がどうして自分を引き取ったのか・・・悟浄はその経緯を知らなかったが、自分の存在が彼女を悲しませている事だけは解かっていた。 「・・・母さん」 兄が呼ぶと、母は振りかえり虚ろな瞳を彼に向ける。 次いで、悟浄に視線を向けると決まってその美しい顔を歪ませるのだ。 心の壊れてしまった、美しい人・・・。 それでも、悟浄は彼女をキライにはなれなかった。 「優しい人なのよ・・・とても優しい人」 幼い悟浄に繰り返し語った彼女。 『誰』に話してるかなんて認識は恐らく無かったであろう。 「とても愛しているわ・・・。あの人も私の事を愛してくれているの。幸せなのよ私・・・。ああ、いけない・・・もうこんな時間。あの人が帰ってくるわ」 しかし・・・その相手が、永遠に帰ってくる事は無いということを、悟浄は知っていた。 それでも、毎日毎日・・・彼女は『男』の帰りを待つ。 悟浄が血を引く男を・・・。 そんな彼女を見ている事は、幼い彼には息苦しく・・・痛かった。 そして、歳相応とは言い難い、苦い表情を浮かべる悟浄を見ると決まって兄は頭を撫でてくれる。 片親しか繋がりの無い兄は、それでも、この愚かで哀れな女を守ろうとする弟の小さな腕をいとおしく思っていた。 「兄貴・・・」 「・・・何だ?」 「オレは・・・ココにいていいのか?」 幼い弟の質問に、眉間をよせただけで答えなかった兄。 彼女を苦しませるだけの存在である自分。 『男』の裏切りの証しである自分。 世間からも、禁忌とされる自分。 生きる意味どころか、生まれた意味すらも見出す事は出来なかった。 それは・・・突然であった。 その夜、寝苦しさに悟浄は目を覚ました。 酷く喉が乾いていて、水を飲みに行こうと上半身を起こすと、扉の所に華奢なシルエットが夜目にも見て取れる。 「母・・・さん?」 この家で、そんなシルエットを持つ人は一人しかいなくて・・・悟浄は小さくその人物を呼んでみた。 ふわりと・・・彼女が微笑む。 驚いて、悟浄はそのまま固まってしまった。 彼女が自分を見て笑うなどと言う事は、今までに無かったのだから・・・。 呼吸すらも忘れてしまったかのように微動だにし無い悟浄のいるベットへ、彼女はゆっくりと近づく・・・。 「帰ってきてくれたのね・・・」 「──────っ!!」 悟浄の耳元で囁かれた名前は、悟浄のものでは無く・・・あの男のものだった。 世界が凍りついたような感覚。 次いで体を支配する灼熱。 しかしそれは、囁かれた言葉によって霧散してしまった。 「愛してるわ・・・」 それは・・・彼女が初めて自分に言った言葉。 いや・・・厳密に言うと、悟浄に対してではなかったが・・・、それでもそれは、甘い毒を含んで悟浄の耳に届く。 自分の上に乗りあがってくる彼女を、何処か違う世界の出来事の様に悟浄は感じていた。 その身に起こっている事の意味もよく解からず、ただされるが侭になって、この嵐が過ぎ去るのを待った。 そこにいたの『母』ではなくただの『女』・・・。 小さな体に絡み付いてくる、柔らかな肉。 感じた事の無い、波。 自分の中に『父』を求める『母』・・・・・。 けれど・・・たとえ誰かの代わりでも悟浄が彼女に『愛された』のは、それが最初で最後だったから・・・。 「その一週間後だ。母さんがオレを殺そうとしたのは・・・」 追い詰められて・・・それでも・・・一度きりでも・・・偽りでも愛してくれたから・・・あの時オレは本当に・・・あの人に殺されてもイイと思ったんだ。 「でも・・・オレは死なずに。・・・兄貴はオレをかばって母親殺しの罪を背負って消えた・・・」 「・・・・・・」 八戒は最後まで、沈黙したまま悟浄の話を聞いていた。 「今ならさ・・・あの頃わからなかった事も見えてくるわけよ。結局、母さんはオレが親父に似てたから引き取ったんだろうな」 すぐに殺そうとする事なく・・・。 「でもな・・・一つだけわからない」 「・・・・?」 「今まで、何人もの女・・・抱いてきたけど。あの夜感じた・・・くすぐったいような満ちたりた感覚を味わう事が、まだ無いんだよ・・・」 それを求めて・・・また誰かを抱き・・・見つけられなくて、探して、そしてまた・・・・・・・。 「それはですね・・・」 少し、痛いような顔をした八戒がなにかを言いかけたが、思いなおして止める。 「・・・何だよ、言えよ。気になるじゃん」 不満げな表情で悟浄は八戒に突っかかった。 「いいえ・・・」 目を伏せる。 「いいえ、悟浄。この答えは貴方自身が見つけるべきものです」 「・・・・・・・・」 悟浄は、何処か納得の行かないような表情をしていたが、溜息を一つついて諦めた様だ。 八戒がそう言うのなら、そうなのだろう。 悟浄・・・貴方はお母さんのことを、愛してたんですよ。 一人の『男』として・・・。 それ以来・・・悟浄は本物の恋をした事が無いのだろう・・・。 比べられる物が無い。『知らない』から『解からない』んだ。 それが解かるのは・・・次ぎに誰かを心から愛せた時。 酔いにウトウトし始めた悟浄を残し、八戒は席を立つ。 「眠ってて良いですよ。夕食できたら、起こしますから」 「ん・・・・」 中断していた食事の支度をしに八戒がキッチンへ戻る。 その後姿を、落ちそうになるまぶたの隙間から見送って、悟浄が呟いた言葉は、八戒に届く事は無かった。 「でもな・・・もう少しで・・・答えを掴めそうなんだ」 お前となら・・・・・・。 やがて聞えてきた、軽やかな包丁の音を子守唄代わりにして、悟浄の意識は甘いまどろみの中に落ちていった。 END |
はい、でっち上げです。 悟浄兄さん・・・受臭さ大爆発(笑)。まぁ・・・元々悟浄は受臭いけどさ(問題発言)。 さて・・・この話は、これから書こうかと思っているシリーズのエピソード0ってところでしょうか。 平たく言いますと、悟浄が本物の愛に気づいていく話(クサッ) ・・・単なる浄八・・・。 生ぬるい話を、ねちっこくちまちま書こうかと・・・(笑) 題して「気持ちから始まるシリーズ」(爆) じゃあ、「身体から始まるシリーズ」もあるのかと言えば・・・・・実はあります(笑)。発表する気はないんですけどね(ひたすらエロですから)。ノートにコッソリとマンガで描いてます。 |