むせ返るような血の薫りに、三蔵は顔を顰めた。 纏わりつく濃厚なその空気に、酔いそうだと思う。 今現在のこの部屋の主たる人物は、しどけなくベッドに横たわり、死んだ様に眠って・・・否、眠ったフリをしている。 ダラリと、床へ投げ出されるようにして下がっている左腕。 そこにある、自ら掻っ切ったであろう・・・手首の傷からの出血の為か、普段から白い彼の肌は、抜けるような蒼白さを湛えていた。 「───おい」 近づいて、呼ぶ。 良く見れば、肌蹴た上着の隙間から見える胸や腹にも、深くは無いものの無数の傷が出来ていた。 「・・・何をしている、お前」 先ほどよりも、苛立った声で再度呼ぶ。 億劫そうにベッドの人物は、ゆっくりとその瞳を開いた。 そこに宿る光を見て取り、三蔵は小さく舌打ちをし、無理やりにでも彼を一人にするのではなかったと後悔する。 今夜は、宿にシングル部屋しか開いておらず、もちろん悟空や悟浄がそれに異議を申したてるはずもなく、妙な勘繰りをされるのも不愉快なので、そのままここに停泊と言う形になったのだが・・・。 「・・・死ねないんです・・・」 ポツリ・・・と、危うく聞き落としそうな音量で、彼が呟いた。 三蔵は、ますます眉間の皺を深くする。 「当たり前だ、手首を切ったぐらいで死ねるか」 血液とは、元々空気に触れると凝固する様に出来ているのだ。 それで無くとも、彼は妖怪・・・人間の数十倍もの耐久力がある。 しかし・・・ 「・・・何考えてやがる、八戒」 傷の治りが遅すぎる。 八戒の施す気功での治癒は、体内外の気を操り自分と相手の気を傷口に集中し、自己修復力を一時的に高めて早めるものであり、それは自身にも有効な筈だが、先ほどから八戒の傷にはその兆候の片鱗すらも伺えない。 妖怪である彼ならば、数日で傷が消えるであろうが、なにぶん、他の二人の目も有る。傷はここで消しておくのが得策と言えた。 特に、この手首の・・・・・・ 「・・・この傷も・・・跡形も無く消えちゃうんでしょうね」 三蔵の考えている事が解かったかの如く、八戒が呟く。 枕元に佇む三蔵を見上げて・・・口元が淫らな笑みをかたどった。 妖怪へと変体を遂げてから・・・八戒の体は、傷一つ残らなくなった。 それは恐らく、妖怪特有の強大な治癒力によるものであり、唯一彼の体に残っている傷は、人間だった時に最後に付けられた、腹の傷だけ・・・。 それだけは消えない・・・心に負った傷と共に・・・。 「・・・どうしたいんだ、お前は」 時々・・・極々稀にだが、八戒はこうなる。 実際に死のうとするわけでもなく(その気があれば、いくらだって方法があるはずだ)ただ、無意味に自身を傷つける。 それも・・・決まって三蔵がいるときだけ・・・。 「・・・・・たい・・・・」 「何・・・?」 「・・・僕は・・・いきたい・・・」 『生きたい』のか。 『逝きたい』のか・・・。 いや・・・恐らく、両方の意味を含んでいるのであろう。 反発する精神が、自己破壊の衝動を生み出す。 「・・・馬鹿が・・・」 苦い顔をして、三蔵がそう吐く。 (・・・仕方ないか・・・) ベッドの脇にしゃがみこんで、しだれ落ちている八戒の腕を取ると、おもむろに傷口に舌を這わせた。 「!?何を・・・っ!」 驚いて、八戒が飛び起きた。 が、貧血を起こし危うく倒れそうになり、三蔵の腕に支えられる。 抱きとめられ・・・息が止まった。 「・・・言った筈だ、お前が死んでも何も変わらないと」 確かな強さを持って、それは八戒の耳に届く。 「僕には・・・」 抱きしめている身体が、震えた。 「僕には死ぬ権利がある!」 「だが、俺にはお前を生かす権利がある」 吐き捨てた八戒のセリフに眉一つ動かすことなく、三蔵はそう即答した。 「・・・何故?」 揺れる瞳で、そう尋ねて来るか細い身体。 「俺がお前に・・・『猪八戒』に生を与えたからだ」 『猪悟能』に死を与え。 『猪八戒』に生を与えたのは、彼だから・・・。 だから・・・八戒は、三蔵のいる時だけ壊れられた。 心のバランスを保つ為・・・、精神のアンバランスをこうして発散する。 そしてそれは・・・もうすぐ安定するだろう。 壊れるまでの期間が、段々と長くなっているのだ。 腕の中の身体を、ベッドへ押し戻す様に横たえる。 そこに乗り上げ、左腕を手に取り傷口を再び舐め上げれば、八戒が熱く息を一つ吐いた。 そうだ・・・それで良い。 『死にたい』と言う意識が、自己回復を邪魔していると言うのなら、そんな事考えられなくしてやれば良い。 本能の部分を高ぶらせてやれば、自ずと引きづられる様に治癒力も引き出されるだろう。 生き物とは、本来『生きよう』とする物なのだから・・・。 そうして、そのために幾度と無く三蔵は八戒を抱いてきた。 「・・・これが・・・最後かもな」 何気なく呟いた一言。 瞬間、組み敷いた身体から感じた、嘲り。 訝しんで顔を見やると、愁いを孕んだような笑みとぶつかった。 「貴方は・・・僕を抱くのに理由が必要なんですね」 可哀想に・・・。 言外にそう含んで、八戒は悲しげに笑った。 「・・・・・・・・」 三蔵は答えない。 答えられない。 紡ぐ言葉の代わりに、動きを再開する。 「・・・・・・っ」 丹念に舐め取られる、手首の血液。 既に凝固したそれも、清める様に執拗に這わされる舌。 暫くすれば、そこから微熱が発せられ、治癒が始まった。 手首を離すと、胸元の傷一つ一つにも丁寧に唇を落す。 その感覚に耐えるように、八戒が噛み締めた唇に血が滲んだ。 それに気付き、そこに唇を寄せる。 そろりと舐め、違う意味で持って口付ける。 「・・・・はっ・・・」 自分たちには、血の味のする接吻で調度良い・・・。 「さん・・・ぞ・・・」 キスの合間に綴られる自分の名に、官能の琴線を刺激される。 唇を離せば、濡れた瞳が熱を含んで自分を見つめる・・・。 翠玉を模したようなそれが、今は月の光を孕んで金色がかって見え、まるでしなやかな獣の様に思えた。 いつもそうだ・・・。 結局、最後にこの瞳に溺れてしまうのは自分の方なのだ。 だからこうして・・・弱みに浸け込んで、八戒を抱く。 誰に聞かせる訳でもない、言い訳を内に叫びながら・・・。 三蔵は、自嘲気味な笑いを口元に浮かべて、もう何度考えたかしれない終わりの見えない思考を、無理やり終えさせる。 今は・・・最後になるかもしれない、この肌を堪能しよう・・・。 「・・・ん・・・はん・・・」 三蔵の唇が・・・指が触れた個所から、甘い熱がじんわりと広がっていく。 腹部の傷に口付けた時、八戒の体に怯えにも似た震えが走った。 治らない物と知りながら・・・丁寧に唇をなぞらせれば、やがてそこが一番の性感帯へと摩り替わる。 「・・・まるで月だな・・・」 八戒の身体は気を帯びて、闇の中で淡く発光していた。 浅く短い息の下、八戒が答える。 「でもね・・・三蔵。・・・月は・・・自ら光る事は出来ないんですよ・・・?」 しなやかな指が伸ばされ、三蔵の頬を撫でる。 「・・・太陽がないと・・・ダメなんです・・・」 なんて・・・泣きそうな顔をして笑うのだろう。 痛いくらいに切ない笑顔・・・。 「・・・八戒・・・」 細い身体を抱きしめると、瞳から小さな光が零れた。 「・・・あっ・・・」 指を廻らせれば、白い喉は仰け反り濡れた小さな悲鳴を上げる。 布擦れと、湿った音だけが空間を支配し、空気さえも淫蕩なものへと変えて行った・・・。 「─────あぁ!」 ゆっくりと・・・押し入れば、一層甲高い声で・・・啼く。 なだめる様に髪を撫でて、口付けを繰り返せばやがて、固い蕾は三蔵を呑み込んで甘く震えた。 もう・・・ほとんど消えかかった手首の傷に唇で触れ、その腕を自分の背中に回させる。 「・・・あ!はっ、さん・・・ぞ!!」 普段は・・・ストイックな雰囲気を醸し出している八戒の艶容が、狂おしいまでに美しいと思った。 「ひ・・・っ、やぁ!ふ・・・はぁっ」 身体ごと・・・心まで掻き乱される感覚。 恍惚とさえ取れる八戒の表情に、三蔵の口元にも知らず笑みが浮かぶ。 与えているのは・・・痛みよりも大きな・・・・。 一層深く貫いた時、張り詰めていた八戒の熱は解放を求めて三蔵をキツク咥えこみ、自身が爆ぜる前に見を引こうとした三蔵を、八戒の腕が引き留める。 「おねが・・・このまま、中・・・で」 「しかし・・・」 「あ!──────ああぁ!!」 引きとめる為に抱きしめたせいで、より深く繋がった箇所が、八戒の快感の放出を受けて、きつく絞まる。 「────っはっか・・・い!」 ギリギリまで自制していた三蔵も、ついに八戒の最奥に熱をぶつけた。 体内に熱い迸りを受けて、八戒の身体が一度大きく震える。 息をつき、今度こそ身を引こうとした三蔵を、またも八戒が留め・・・。 「・・・・・八戒?」 「僕じゃ・・・ダメですか?」 整わぬ息で、たどたどしく言う。 「僕じゃ理由になりませんか・・・?」 「え・・・?」 「貴方が、僕を抱く理由・・・」 何を・・・言い出すのだろうと思う。 「僕が抱かれたいからじゃ・・・理由になりませんか・・・?」 驚きで、三蔵は声も出せないでいた。 「これで終りに・・・したくない・・・」 止めど無く溢れる、光の雫・・・。 なんて綺麗なんだろう。 でも・・・今は、この涙を止めてやりたい・・・。 「理由に・・・ならないな」 三蔵の言葉に、ショックを受けた様に八戒が目を見開く。 何かを言おうとした口を、三蔵は唇で塞いだ。 束の間のキス・・・。 動けないでいる八戒に三蔵は言う。 「理由は・・・別に有る」 「さんぞ・・・」 「俺がお前を抱きたいからだ」 緑の瞳が、一瞬大きく見開かれ、次いで嬉しそうに細められた。 それでも・・・涙は零れたままであったが・・・。 「泣き止まそうとして、返って泣かれたのでは敵わないな」 苦笑交じりに三蔵が呟く。 「・・・・あっ」 涙を拭おうと身を捩った時、八戒が小さく声を上げた。 「・・・・?どうした」 「だって・・・その・・・」 ふと考えてすぐに気付いた。 自分達はまだ繋がったままだったのだ。 自分で引きとめたくせに、赤くなる八戒を見て、一瞬可愛いなどと思ってしまった自分に驚く。 (俺も・・・お前が生きて変わったものの一つと言う事か・・・) 穏やかな息を一つ吐き、三蔵は八戒の耳元へ顔を寄せる。 その言葉を言った後の、彼の様子を想像して見て、心の内でほくそ笑んだ。 「もう一度・・・お前を抱いていいか・・・?」 END |
ふう・・・、初さんぱち。 落ちつきますなぁ、このカップリング。妙な熟成感があって(笑) なんつーか・・・夫婦(笑) 恋人じゃなくて、夫婦です(爆笑) 相変わらずの、三蔵様の偽者っぷりには寒気を覚えますが・・・、そう、アンタ寒いよ三蔵!!(汗) ・・・あぁ、寒いのは俺の頭か・・・(ひゅるりら〜) |