In Voice






 どこまでも…白い世界。


 (…嫌だなぁ)
 彼はぼんやりと思った。
 どこまでも、何も無い。
 何も…色さえも。
 (…嫌だ…)
 どこまで行っても闇ばかりの方が、よっぽどマシだったと思う。
 この世界に色を付けたくて、自分の手首に歯を立ててみた。
 力を込めるたび、痛みが大きくなって行ったが、そんなものは彼の衝動を止めるための防波堤には成り得なかった。

 ブツリ─────と、皮膚を破る感触。
 鉄サビの味が広がり、紅い体液が床──どこが上でどこが下かも解らない世界ではあったのだが──に滴り落ちたが、あっけなくその紅は白に吸い込まれるように消えた。
 僅かに眉をひそめ、彼は更に手首に力を加える。
 腕を…顎を…身体を伝って広がる血液は、それでもその白に触れると色を失い、とうとう手首の肉を食い千切るに至っても、一点の染みさえもつける事は出来なかった…。
 ゴポリと…溢れ出る無力な液体を忌々しげに見つめ、彼は一つ溜息をついた。
 麻痺してしまったのか、もう痛みは感じられない。
 やがて、勢いを失い流れるだけになった紅の間から白い骨がちらりと覗く頃に、漸く彼は気が付いた…。
 (ああ…そうか…)
 この世界は…この紅を取りこんでいるのではなく……拒んでいるのだ。

 世界に…拒まれた存在。

 あまりに可笑しくて、涙が出そうだと思った。
 所詮、自分を受け入れてくれるのはこの紅色だけなのだと・・・。
 今度こそ本当に笑おうと思い、口の両端を上げかけたとき、不意に腹部に鈍い痛みが走った。
 「・・・・・・?」
 覗きこむように腹部を見ると、引き攣ったような醜い跡を残していた腹の傷がバックリと石榴のように口をあけ、絶えず血を流している。
 横一文字に切り裂かれた其処から薄紅色の肉がピクピクと痙攣しているかのように動いているのが見えた。
 焦燥感は、涌かない。
 ただ、今更開くほど新しい傷ではなかったのにと思う。
 疑問符も生じない。
 ただ、困ったなとため息を一つ吐いた。

 「おやおや、これは大変だ」
 そのセリフとは裏腹に、暢気と形容して良いような声色が突然世界の空間を震わせて響いた。
 ゆっくりと…緩慢な動きで彼は顔を上げた。
 目の前に
 この白い世界よりも、さらに白いと思わせる…男。
 爬虫類のソレを思わせる、色素の薄い瞳が楽しそうに細められている。
 「…清…一色…」
 いつから其処にいたのか…、彼は目の前にいる男の名を小さく口にしてみた。声は、出るようだ。
 「……何故?」
 それは、何に対しての疑問だったのか…口にした彼自身にも良く分からなかったけれど…、清一色は勝手に解釈をしたらしい。
 「我がココにいるのは、おかしいですか?」
 「貴方は…死んだはずです」
 「えぇ、貴方に殺されましたね」
 尚も、嬉しそうに清一色は続ける。
 「デモね…『死』なんて、そんな簡単に提言できるものでは無いデショ?現に我は今こうして…貴方と話しているじゃ無いデスか」
 優雅…といって良い動きで清は彼に近づく。
 「肉体を失った事が『死』になるなんて…誰が言い出したんでしょうね?」
 クツクツとのどの奥で嘲笑う男を彼は、どこか違う世界の話のように聞いている。
 「そうは思いませんか?ねぇ、猪悟能」

 自分を、過去の名前で呼ぶ男。
 自分の、過去に関わった男。
 自分が、殺した男。
 そして…
 唯一、自分の罪を断罪する男…。

 「その名の男は死にました」
 紡ぎ出された言葉に男は瞳から笑みを消した。
 「三年前…貴方に受けた傷によって…雨の中…息絶えたんですよ」
 憮然と男は彼を見ていたが、やがてまた口元に笑みを浮かべ病的なまでに白い指を彼の顎にかけ───いつの間にか、手の届く位置にまで来ていたようだ───ゆっくりと上向かせると、その瞳を覗きこむ。
 「では…今ここに居るアナタはなんだと言うんですか?」
 幽霊ですか?…揶揄する響きを含んで男が聞く。
 「・・・・・・いいえ」
 一瞬、目を伏せて…今度こそ本当に彼は笑った。
 「僕はあの日…貴方が切り裂いた彼の腹の傷から這い出した…彼が孕んでいた…獣ですよ」
 その笑顔は、宗教画にある聖母のように美しいのに、瞳に宿る光は酷く獰猛で淫惨だった。
 「では……」
 白い男はそれでも笑みを崩さない。
 「アナタのこの傷から生まれるモノは……何なのでしょうねぇ?」
 長い指が彼の傷へと伸ばされ、ゆっくりと埋め込まれる。
 グチュリと淫猥な音と共に呑込まれる指に、彼は悲鳴にも似た小さな声を一つ漏らした。
 腹部を犯される感触に、喜悦で眩暈を起こしそうだ。
 与えられる痛みが贖罪のように感じられて、堕ちそうになる意識を辛うじて保つ。
 (………ああ………)
 このまま、この男に屠られてしまうことの甘美たるや何だ。
 悦びに、気が狂いそうだと思った瞬間…………。

 声。

 大気を僅かに震わすそれに、彼の溶けかけた意識が覚醒する。
 ───誰…?
 その声は…耳に届く類のものではなくて…、心に直接響く様な……。
 

 二つの……声。


 彼は…腕を伸ばした…。
 その声の一つへと…。
 それば酷くゆったりとした動作であったが、確かな意思を持って差し出された。
 風が……吹いたと思った。
 そして……一面に広がる……

 

 驚いて辺りを見まわす。
 先ほどまでの白とは違い…この世界は…優しく彼を包んでいるような気がした。
 「……そうですか……アナタは『ソレ』を選びましたか」
 目の前にいた男は、紅色に押しつぶされるかのように消えかかっていた。
 それでも、その口元に微笑を貼りつかせたままで……。
 「……いいでしょう。でもね……忘れないで下さいよ。我はいつでも『ココ』でアナタの事をお待ちしてますから」
 彼女もね……。言い残して、白は紅にかき消された。
 そして背後に現れた、気配。

 首を巡らせると……この紅い世界よりも紅い男が立っていた。
 花が綻ぶような微笑を彼が男に向けると、男もつられるように頬を緩ませ、彼へと手を差し伸べる。
 僅かな迷いも無く、彼はその手を取った。

 その瞬間、見えたのは……嘗て愛した……愛して愛して愛して……愛し殺してしまった……。
 (……ごめん)
 そう、心の中で呟けば……彼女が笑った気がした……。



 「……大丈夫か?」
 目の前に、心配気なルビーみたいな瞳。
 自分の頭の方から覗きこむと言う体勢に、初めて出会った時の事を思い出して、彼は少し笑ってしまった。
 「大分うなされてたゼ?」
 「そう…ですか…」
 ベットから半身を起こすと、彼は疲れたように溜息をついた。
 「夢をね…見たんです」
 ベットから離れ、煙草に火をつけていた男が彼を振りかえる。
 「貴方が出てましたよ」
 「……ナンでそれでうなされるワケ?」
 不満げに男が言う。その言葉に、彼が笑う。
 「……彼女もね……いました」
 視線を落とし、微笑みはそのままに言った。
 「……へえ?」
 ゆっくりと大きく煙草を含み、同じようにゆっくりと紫煙を男は吐き出す。
 「……彼女ね……笑ってました」
 彼が視線を、男に戻す。
 「いえ…泣いていたのかも…。貴方の…手を選んだことを…」
 「同じだろ」
 彼の言葉を遮るように、男が言った。
 「……え?」
 何の事かわからずに、彼は驚いたように僅かに目を見開く。
 「だから、同じだっつーの。泣いてようが笑っていようが…」
 涙が出るのは、悲しい時ばかりじゃないだろ?
 「……あ……」
 「喜んでたんじゃねぇの?お前が俺を……その……選んだ事を!」
 最後の方は照れくさかったらしく、わざとぶっきらぼうに言い放った。
 「……悟浄……」
 噛み締めるように、目の前の男を呼ぶ。
 「あ?ナニよ」
 「……名前」
 「は?」
 「名前…呼んでくれませんか?」
 訝しげな視線を悟浄は彼に向けた。
 「呼んで欲しいんです…僕の名前…」
 もう…随分と長い間呼ばれていなかった気がするから…。
 自分の中で、今も生きているあの男と彼女に別れを告げるために、自分を引き戻した彼の声で、呼んで欲しかったのだ……。

 静かに息を吸う音が聞こえる。
 自分の鼓動が身体に響き、その瞬間を待つ。
 紡がれる、言葉。

 「……八戒」

 声が…聞こえた。





END  

  ・・・書きたい事の3分の1も書けませんでした・・・。
今回判明した事・・・私、文章では殿下を動かせないらしいです(死)
話しの意味・・・解らなかったと言う方・・・貴方は正しいです!
・・・書いてる本人にも意味わからないんですから・・・この話し・・・。(じゃあ、載せるなよ)
いつか清×八リベンジしたいです!!このカリを返したい!!
・・・この話し・・・実は3回ほどデータ飛ばして、そのたびに書き直してたのです・・・。本当は一番はじめに飛ばしてしまった話しが一番好きだったのですが、下書きとかしない女なもので最早再現不可能(笑)これ書くのに3話分の労力を費やしてしまったので、後半疲れてヘロヘロになってしまいました・・・。
どうでも良いけど、白だの紅だのめでたい話ダ。



 この話は、8888HITした孝次様に捧げます・・・(返品可)







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